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その2 : 最も古い天理教文献

 天理教文献の中で一番古い文献について考えてみます。これを考えるにはまず天理教文献とは何か、ということになりますが、前回ごく大ざっぱに説明しましたので、今回はその先へ話を進めます。  一番古いといっても天理教が始まってまだ170年ほどです。教祖ご誕生から数えても、210年ほどですので、勿論それより遡ることはありません。実際には江戸時代の最末期から天理教文献は始まります。

 

「みかぐらうた」の筆写本

 教史上、明らかなのは教祖が慶応2年から「みかぐらうた」を教え始められたということです。おそらく自らお書きになったと思われますが、残念ながらその原本は発見されていません。しかし、教祖の側で信仰に励まれていた多くの先人たちが教祖自筆の「みかぐらうた」を見ながら書き写されたものが残されています。そのうち一番古いものは、山中彦七の手による『天輪王踊歌写帳』(慶応3年筆写)です。この本は天理図書館の所蔵ではありませんが、永尾広海氏の研究によれば大福帳の形をしているということです。
 教祖が「みかぐらうた」を教えられたのは、慶応2年から明治15年までだとされています。信仰者たちは、教祖が書かれた「みかぐらうた」を競って臨書したことでしょう。またそれは日々のおつとめの地歌ですから暗記するためにも自らの手で筆写しました。

 

最も古い印刷物

 教祖の原本をお借りし、書き写した人もあれば、先輩信仰者の筆写本を借りて書き写した人もあった筈です。こうして次々に書き写すことを「転写」といいます。当然書き漏らし、書き誤りが生じます。「みかぐらうた」を筆写して所有している人には借用希望者が大勢やって来ますが、貸し出し中で応えられないこともあります。となると当然、印刷したいとの思いにかられます。おそらくこうしたことから印刷されたであろう「みかぐらうた本」の最も古いものが『拾貳下り御勤之歌』です。明治14年、大阪の「天恵組(てんえぐみ)」という講から出版されました。現在のところ、本教の最も古い印刷物です。
 本教で一番最初の印刷物という「名誉」は大阪の一つの講が持っているんです。天恵組は当時、おてふり練習が盛んに行われ、おてふりを踊ることが一種の羨望として見られていた節があります。まだ教会制度が始まる前ですが、この講を母体として、後の分教会が誕生するのは、さらに十年ほど経てからのことになります。

 なお、周辺文献というか、関連文献としては、教祖ご誕生の前川家や、中山家に関する文書史料も広い意味では天理教文献と言えます。さらに、教祖長男秀司様が吉田神祇管領家から公許を得られた時の文書史料も同じです。どちらも江戸時代末期のものとして知られていますが、そこまで広げると収拾がつかなくなりますので、ここでは触れないことにします。

※この記事は2008(平成20)年に書かれたものです。

 

 

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