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その3 : 日本一の雑誌

 天理教の出版物に、日本一の雑誌があります。日本一って何が日本一なのか。そこが問題ですね。「日本一」を計るものとして考えられるのは古さ、発行部数、質の高さ、くらいでしょうか。
 日本一の天理教の雑誌とは、多くの方が想像された通り『みちのとも』です。そして、その日本一の意味は「古さ」です。今から『みちのとも』についての日本一の意味とその他の話題を、合わせてお話します。

 

「みちのとも」が日本一のわけ

 『みちのとも』は明治24年12月に創刊されましたので、立教171年(平成20)で118年目になります。日本の雑誌で118年も続いているものは極めて少ないのです。「唯一」とか「日本で一番」とはっきり書けないのがもどかしいところですが。
 さて、明治24年頃の日本の雑誌界はまさに創刊ラッシュの時代でした。逐次に刊行する雑誌なるものが、日本において出だしたのは幕末期。明治になるとさらに創刊が増え、明治20年頃から『国民之友』や『日本人』といった大衆に影響力をもつものが出現します。
この頃に創刊されて現在まで続く雑誌として明治20年の『反省会雑誌』と明治24年の『みちのとも』があります。『反省会雑誌』は現在の『中央公論』のことです。『反省会雑誌』とは一風変わった誌名と思われるでしょう。創刊時は西本願寺の僧侶たちの雑誌で、禁酒を軸とした仏教界改良を唱えたものでした。日清戦争後、総合雑誌となり明治32年に『中央公論』と改題したものです。つまり、創刊時とは全く別の雑誌になっているのです。『みちのとも』より創刊が早いとは言え、同じに論じることはできません。
現在継続中の雑誌で創刊の一番早いのは確かに『中央公論』。しかし発行所も誌名(読み)も変わらない雑誌としては『みちのとも』が日本一の歴史を有していると言えます。これが『みちのとも』日本一の意味です。

 

『みちのとも』は毎月発行されますから、読むのも大変です。しかし、『みちのとも』のバックナンバーを見るのは楽しいものです。各号ごとの時代にタイムスリップしたような気分になります。例えば明治26年1月号綴じこみ附録に「天理教会教祖改葬式行列之光景」なる図があります。前年の教祖墓地改葬式行列を描いたものです。勾田の旧墓地から豊田の新墓地まで切れ目ない行列が続きます。絵のことだから誇張されていると思われるかもしれませんが、明治25年12月号の記事を見れば、けっしてオーバーな表現ではなかったことがわかります。図と記事の記述によって当時のお道の雰囲気が読みとれます。 他にも各所に見られる統計資料、本部からの通達事項、本部神殿や施設、各教会詰所のふしんの状況など百年に余る本教歴史の一大資料宝庫です。過去の歩みを正確に知って、将来の展望を開く。天理図書館『みちのとも』バックナンバーは、皆さんの活用を待っています。

 

 

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